米国ロッキード(Lockheed)初のジェット旅客機として開発された L-1011。星や星座など天文由来の名称をつけるという同社の伝統に従って3発エンジンとオリオン座の三ツ星にちなんだトライスター(TriStar)という愛称が与えられました。
ボーイングが B747 の開発をローンチした 1966年にアメリカン航空が 250〜300席、航続距離 3,500km 程度の大型旅客機の開発を各メーカーに求めたことから開発検討がスタートし、欧州でのセールスも勘案して英国ロールス・ロイス製 RB211 エンジンによる 3発機の開発が 1967年に発表されました。当初見込んでいたアメリカン航空がライバル機である DC-10 を発注するすなど受注に苦戦したものの 1968年4月までにイースタン航空、トランス・ワールド航空、エア・ホールディングス、デルタ航空から 160機余りの受注を確保し 4月3日に正式にローンチされました。開発は RB211 エンジンの再設計の影響もあって遅れたものの 1970年9月に初号機がロールアウト、11月には初飛行を終えました。ところが 1971年2月にロールス・ロイス社が経営破綻し RB211 エンジンの製造がストップし継続が危ぶまれる状況となりました。ロッキードは英国政府と交渉しなんとか RB211 エンジン製造継続が決まり、さらに米国政府がトライスター製造を保証する条件で RB211 エンジン生産休止に対する補償を英国政府から受けられることとなり生産が続けられました。1972年4月にローンチ・カスタマーであるイースタン航空に初号機が引き渡されました。すったもんだはあったものの騒音性能や先進的な自動操縦装置は評価されイースタン航空は "Whisperliner"(ささやく旅客機)と謳っていました。
日本では全日本空輸が同社初のワイドボディ・ジェットとして 1973年12月に初号機を受領し納入後整備や慣熟訓練を経て 1974年3月10日に羽田⇄那覇線でデビューを果たしました。当時のキャッチフレーズはやはり「世界で最も静かなワイドボデー・ジェット」でした。
夕陽を浴びながら成田の RWY16 へアプローチする TriStar。
主に国内幹線やビームライン(地方準幹線)に就航していましたが 1974年11月に羽田⇄香港で国際線チャーター便に進出し ITC チャーター解禁や国際線定期路線開設後は JA8508、JA8509、JA8521、JA8522 の 4機が国際線を担いました。
