旧ソビエト連邦で兵器をはじめとして先端技術の設計・開発をしていた設計局(Opytnoe Konstructorskoe Byuro / OKB)には数多くの航空機設計局があり軍用機に加えて民間機の製造も行われていました。開発された航空機には設計局の略号を接頭辞とする名称が付されていました。
1922年に設立されたツポレフ設計局(OKB Tupolyeva)では全金属製航空機の研究に着手し第2次世界大戦を挟んで Tu-2、Tu4、Tu-16 等の爆撃機の開発を行いました。Tu-16 は世界で2番目に営業運航を行なったジェット旅客機 Tu-104 "Camel" に繋がっています(事故が多発し「史上最も危険なソ連製旅客機」とも呼ばれましたが)。その後も Tu-114 "Cleat"、Tu-124 "Cookpot"、Tu-134 "Crusty"、Tu-144 "Charger"、Tu-154 "Careless" 等々を開発・製造しました。
Tu-154 は B727 や HS121 と同じく 3基のエンジンを尾部に集中装備した機体で 1968年10月に初飛行、1972年2月に旅客運用開始以降改良を重ねて 1,000機以上が製造・納入されたベストセラー機で旧東側諸国で数多く運航されました。日本へもアエロフロート・ソビエト航空やその後の分割民営航空会社の運航で飛来していましたね。
初飛行から 52年が経った 2020年10月28日に一般旅客用としてアルロサ航空で使用されていた最後の機体がノボシビルスク⇄ミルヌーイ間でラストフライトを行いました。
福岡の RWY16 にラインアップするアエロフロート・ソビエト航空(Aeroflot - Soviet Airlines)の Tu-154B-1。
